孤独死は無宗教国家の宿命

経済国家に取って役に立たない老人は不要である。

日本は経済国家の地位すらもう20年ほど前に失ったが、戦中戦後に失ったもっとも

大きな資産は宗教である。

どんな宗教にも老人や弱者への庇護が説かれており、それに従うよう強制される。

つまり孤独死等の原始的な生存危機に対するリスク回避策を、経済とは無関係にシステムの中に織り込んであるのだ。

宗教には経典があり、たとえ経済が崩壊しても教義の維持が最優先される。

アメリカはローマ・カトリック教会、中国ですら儒教という宗教に支配されているのだ。

日本にあるのは形式的=イベントオンリーのエンターテインメントと化した現代仏教だけである。これは宗教ではなくサービス業である。

仏教における様々な宗派の教義や信条などまったく知らず、イベントの進行手順だけ

が伝承されて残っているということだ。

今最も盛り上がっている新興宗教ネトウヨであるが、これは経済的勝利を信条としているだけなので先に述べた高度なリスク回避機能は無い。極めて経済的な集団である。

老人や弱者を見殺しにする社会環境は、その環境で生活する人間に極度の不安と、

その不安からくる攻撃性を高める。これがこのような集団を生み出すのだろう。

盛り上げている中心人物はどの顔を見ても年配の方々ばかりである。

 

これから俺は孤独死するのか、とある程度見込みがつけば、 

最後に大暴れして社会を変えてやろうという最終手段も容易に実行できる。

テロを起こさないあたりから、やはり高齢者の反社会集団なのだということが分かる。

しかし彼らがすべきことは国粋活動ではなく古い仏教の僧として出家することだ。

純宗教主義が大事なのだ。

 

日本は治安が世界一良いじゃないかと考える人がいるが、日本以外で犯罪発生率を上げているのは「その社会の経済において敗北し、経済ルールを破るようになった人間」

つまり敗北者である。

経済上の敗北者ではあるが、彼らには希望がある。経済ルールを破って富を得ることで

再び宗教社会(経済社会に対するもうひとつの社会レイヤーとしての宗教)に立場を回復するのである。

彼らは経済社会で法を犯しても、教会で罪を償えばまともな人間として扱われるのである。

自らの宗教の教義に糞真面目になることで彼らは犯罪を犯しても社会的な存在を許されるのだ。

日本にもたくさんの経済的敗北者がいる。しかし犯罪は少ない。なぜなのか。

日本には経済のレイヤーしか残っていないのである。しかも世界的に見て自慢できるようなレイヤーではない。

 

 

そう「孤独死」「世界一の経営規模を持つマフィアの存在」「エロ漫画やエロアニメがTVで垂れ流し」という社会は実は世界から恐怖の視線で見られている。

 

会社に遅刻してくる人間は日本において「社会人ではない」と糾弾され

最悪その理由で解雇、もしくは何らかの厳罰を受けることになる。

 

教義に反しているからである。

儲かるからロリエロアニメをばら撒いても良いという経済ルールも

ほぼすべての宗教ルールから見て犯罪である。

核家族化もバブル崩壊世代を切り捨てる為に日本人だけが精力的に行っているわけで、

他の先進国の核家族化はまばらである。

 

日本以外の国に住む人々は意外にも「社会に対して真面目」なのだ。

 

そして宗教保守的な国であるドイツ、オーストラリア・カナダなどが最終的に経済社会において勝利しちゃった、という

宗教システムを無価値と切り捨て、富国経済道一本にのめり込んだマネーモンキーさま様の日本経済帝国様にとってこんなに寂しい現実は無いだろう?え?、一同大爆笑、完。

というお話である。

 

ほんとに客観的に見れば見るほど滑稽で爆笑してしまう。